雨田 光平 Kohei AMADA 1893~1985
明治26年(1893)福井市相生町生まれ。号は禎之。明治44年東京美術学校彫刻科に入学、同年鈴木鼓村の筝曲京極流に入門。美術学校の卒業制作『女の顔』が、第6回文展に入選、文部省買上となる。大正9年渡米、4年の滞在後渡仏し、ハーピストのマルセル・ツールニエに師事、ハープを学ぶ。藤田嗣治や日名子実三らと交遊し、キュービズムやロシア構成主義の台頭するヨーロッパ彫刻界で、彫刻の研鑚を積む。帰国後、美術評論を手がけながら「構造社」に所属し、戦争まで構造社展や帝展、新文展に構造主義的な作品を発表。一貫して彫刻本来のフォルムとマッスを追求する。戦時中、戦災を避けて帰福し、以後福井に住む。福井県文化賞受賞、勲五等双光旭日章受章。昭和54年福井市名誉市民第1号となる。昭和60年(1985)歿、92歳。
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